In early thirties, I was planning to become someone who has a specific career, but this is me.
30代になったら、もっと「シュッ」とした自分になっている気もしてた。
誰が見ても一目でわかるような肩書きを持って、そこそこのキャリアを積み、
……そんな誰かに自信を持って自分を紹介できる説明書きがつく「何者か」をちょっと期待していた。
今の私どうだろう?
カナダでのワーホリを終えて半年。
帰国直後の「世界を広げてきた私!」というちょっとキラキラした余韻もなくなり、
今の私は、毎日9時5時で働き、外に出たらもうその日の太陽を見れない。疲れて1日が終わる。
たまに履歴書の「職歴」欄を見つめては、点々と続く自分の歩みに「これでいいんだっけ?」と自問自答してしまう。
いや、だけど。今もいい仕事を持ってると思う。思ってたのとはちょっと違ったけど、十分いい仕事と言える仕事。昔イメージした自分とも、1年前にイメージした自分とも違うけど、悪くないよ。
- 何者かにならなきゃ -
そう思って焦っていた頃は、目的地にたどり着けない自分が恥ずかしかった。
(今も気にしてる部分があることは否定できないけど…)
何者にもなってないけど、挑戦してきた。
大学院は上手くいかなくて、修了できなかった。社会に出て最初の仕事はやりがいもあったし、肩書きもあった。何より楽しかった。だけど、これでいいのかなってまた自問自答して、フリーランスになろうと思い切ってやめた。
学んだWebマーケティングのスキルで生きていこうって。でも、自分には営業もマーケティングもそもそも、一人でコツコツ作業することが楽しくないって気づいた。
思いもしないことも起こる。その中で偶然カナダに住んだ。そういえば、北の方へ惹かれる自分がいたっけ。
初めての場所、知らな人ばかり、だけど私はそこでうまく生きていたし、何より楽しかった。
今まで思いもしなかったけど、人と関わる方が向いているのかもしれない。
いろんな経験をして初めてわかること、たどり着くものがあるはず。
それが何者でもなくても。何も持っていなくても。
肩書きもスキルもキャリアも、うーん、やっぱり何もないって思ってしまう。
ただ、最近ようやくちょっと受け入れられる気がする。
特定の「何物」という型に自分をはめ込むことよりも、迷いながら、ただふらふらしてるだけだとしても、それでも「これが私」と笑える図太さこそ私がたどり着いた場所かも。
カナダの山を歩いていた時も、アイスランドで10時間ドライブした時も、私はとても「私」だった気がする。
そこに立派な肩書きなんてなかったけれど、自分の足で地面を蹴って進む感覚だけは本物だった。
そんな感覚を大事にしていたいな。これが私だって。
